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「幸せの行方」 その21 写真集2

2019.08.28 (Wed)


暫くしたある日、
何時もの夜と同じように、書斎で調べものをしていた雅彦に、
ブランデー入りの紅茶を持っていった。
部屋を出ようをすると、ソファーに座るように声を掛けられた。

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トレイを膝に置いて、雅彦の方を見ていたのだが、
彼が持ってきて、順子の目の前のテーブルの上に置いたものを見て、
息が詰まるようにして、目を見開いた。

「抱かれたのか」

表紙に見られる美しい裸体。
紗がかかっているものの、
二人には、まぎれもなく順子の裸体であることがわかる、
あの、写真集だったのだ。

何時か、こんな時が来るのだろうか、
それとも、こんな時は来ないのだろうか。
そう思って、これまで、過ごしてきた。

数年前、あのホテルのロビーで声を掛けられた時。
写真のモデルになることを頼まれた時、
彼の前で、肌を見せた時、
そして、彼のものを、身体に受け入れた時。

何れも、順子が拒めば、
今のこの時間は、避けられたはずであった。

けれど、なぜだか、すべては彼が望んだように時間は流れ、
順子は柏木に誘われるがままに、身体も、そして、心も、
彼のものに、染められ始めていたのである。

雅彦の言葉に返事ができないでいる沈黙の時間は、
もう、そのまま、そのことを認める答えでもあった。



先月、同窓会の打ち合わせのため、
幹事である数名の友人たちとの宴会があった。
飲み足りないと言い出した数人と、
加賀友禅の染物を営んでいる友人宅の、広い書斎兼作業所に場所を移し、
二次会の時間を楽しんだ。

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パソコンのモニターを新調したというので、少し見せてもらった後、
宴会の輪に戻ろうとした雅彦の視線の先に、
机の上に無造作に置かれた数冊の本が目に入った。
染物を仕事にしている関係上、
焼き物や写真にも造詣が深い彼であるので、
それが写真集であるのは、不自然なものではなかったのだが、
上に積まれた二冊の本の下に僅かに見えていた表紙の一部に、
不思議なことに、なぜだか目が止まった。

「北陸の女(ひと)」。
タイトルの通り、この街の写真を背景に、
美しい女性の裸体を題材に撮った作品集だった。
手に取って見てみると、
写実的なものもあったし、印象的に紗を掛けたような作品もあった。

特に目に止まったのは、加賀染めの浴衣をまとった白い身体だった。
紅色の見事な絞りの下に見え隠れする美しい女体は、
淡い照明の中に浮かび上がり、
いやらしさを全く感じることのない、素晴らしいものだと思え、
他の写真も、見事な作品で、写真が素人な雅彦にも、よいものだと思えた。

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けれど、その作品の数々が、雅彦を困惑させたのは、
作品の素晴らしい出来が理由ではなかった。
ため息のでるような美しい裸体を、
惜しげもなく見せている女性は、まぎれもなく、妻である順子ように思えたのだ。

そして、雅彦のその疑惑の回答を決定的にしたのは、
作品の中で横たわる彼女の裸体の、薄っすらとした体毛の中に見える、
二つのほんの小さなほくろだったのである。
きっと、本人にさえ気づいていないそのほくろは、
雅彦が、順子の秘唇を舐め上げるときに、気づいたもので、
そのことを、本人に話したこともない、雅彦自身の秘密のものだったのだ。
無論、写真では秘唇は写ってはいないのだが、
僅かに写されている体毛の下に、
まぎれもなく、その証拠を見ることができたのである。

「ああ、それだろう。ため息のでるほど、綺麗だよな」

友人がそう声を掛けたので、慌てる様子を見せないようにして、
元のように、数冊の本の一番下に、差し戻したのだった。

聞き覚えのある写真家であった柏木のことを、
改めて、ネットで調べてみた。
父親の代から、京都で写真館を営んでいて、
人間的な評判も悪くないようであった。
彼のHPを見ると、多くの作品を発表しながら、
幾つもの賞も手にしていたことが分かったし、
奇しくも、雅彦と同じ歳だということも知ることができた。
作品の紹介の中には、もちろん、あの「北陸の女(ひと)」も含まれていて、
表紙の紹介で、美しい裸体を見ることができた。

その妻の身体が、自分一人のものではないことは、
雅彦自身、もちろん、分かっていたことではあったのだが、
妻であるはずの彼女が、隠すものをまったく身につけない身体を、
夫である自分が知らないところで、柏木に見られていたことは、
やはり、彼の心をひどく混乱させることに他ならなかった。


それに、見られただけでは済まなかっただろう、
それだけ、男にとって、妻の身体は見事に魅力あるものだということは、
夫である自分が、充分に知っていることでもあった。

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いつからなのだろうか、そして、どうしてなのだろうか。
順子が、知らない男に抱きしめられ、喜びの声をあげる夜を過ごした。
けれど、そう、思った途端に、
雅彦の全身を、どうしようもない赤いものが、
吹き上がるように流れ始めたことがわかった。


「薫は私に…」と言うつもりだったが、言葉が続かなかった。
それでなくても、義父たちが、
大切な薫を、やすやすと渡してくれるはずはなかったし、
背徳の娘として、実家にも戻れないだろう自分と一緒で、
薫の人生が、幸せになれるとは思えなかったのだ。

そんなことも承知で、自分は柏木に抱かれたのだろうか。
それほど、柏木に溺れていたのだろうか。

「俺のことを、もう、愛してはいないのか」

順子は、慌てるように、大きく髪を揺らした。
嘘ではなかった。
柏木に抱かれた後も、自分にとって、雅彦は大切な人であったし、
妻として、心を寄せ続けていたことは間違いのないことであった。

「彼を、愛しているのか」

うつむいた順子の姿が、その回答に察せられた。
嘘はつけなかった。
そうすれば、自分の正直な感情に背くことになってしまうように思えたのだ。

暗い沈黙の時間が、淡いデスクライトの光が広がる部屋に流れた。

雅彦は、震える順子の肩を抱きしめると、耳元に顔を寄せて、低い声で呟いた。

「彼の子どもを、柏木の子どもを産めばいい」





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